全米展開のラーメンチェーンを創るという野望【商社マンからラーメンマンになった男の物語2】

三菱商事、MBA留学を経て、コンサルティングファームへ転職、現在はマレーシアの寿司チェーンレストラン「Sushi King」の経営に携わっている多胡雄人さん。第一回では、アメフト部の副キャプテンとして、チームを率いたことから、いろいろな人を巻き込みながら大きな目標へ向かう楽しさを覚えた多胡さんが、最初のキャリアとして総合商社を選び、トレーディングや投資を経験したのち、力をつけるためにMBAへ留学するところまでをお聞きした。第二回は多胡さんの人生を大きく変えることになったMBA留学について語っていただきます。

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MBA時代、起業プロジェクトをきっかけにラーメン道へ

ーそれでは多胡さんにとって大きな転機となったという起業プロジェクトについて教えてください。

多胡 「ダートマス大学では一年目の最後に、一年間学習してきたことを活かして、起業プロジェクトを作り、最後に投資家へプレゼンするというプログラムがありました。どんなプロジェクトを作るか、どんなチームを組んでやるかまで、生徒が主体となって運営されています。僕は主導権を持って取り組むため、リーダーシップを発揮できるファクターを探しました。それが日本人であることでした。」

ー確かに海外にいれば日本人であること自体が強みだということですね。それで日本の何で起業することにしたのですか?

多胡 「僕、めちゃくちゃラーメン好きなんですよ。確かにボストンやニューヨークにはそれなりのラーメン店はありましたが、20ドルくらいしますし、待ち時間も長いです。逆に安いのは味がひどいものしかありません。なのでハイエンドとローエンドの中間に巨大なポテンシャルがあると思いました。ハイクオリティかつリーズナブルでどこでも利用可能なラーメン屋があれば、、、なにより自分がラーメン食べたい!そこで考えたのが全米展開するラーメンチェーンを創る計画です。」

ー全米展開、、スケールが大きいですね!それで最終プレゼンはどうだったのですか?

多胡 「僕の中では会心の出来だと思っていましたが、投資家が5人いて、4人からはボロボロに言われました。しかし、一人だけ投資してもいいと言ってくれる方がいました。その方が、かなりの資産家で、投資家ネットワークも持っていたので、メンターの教授や他のメンバーも乗り気になっていて、この起業プロジェクトに挑戦する機運は高まっていました。」

ー それですぐにプロジェクトをスタートしていったのですか?

多胡 「いや、この後は夏休みに入り、皆、就職活動を兼ねたインターンをするので、プロジェクトは一旦ストップしました。僕もシアトルにあるヘッジファンドでインターンをしていましたが、頭の片隅ではずっとラーメンのことを考えていましたね。そして夏休みが明け、メンバーからの連絡を待っていたのですが、結局、誰からも連絡が来ませんでした。その理由はMBAという数多くのチャンスがある環境で、起業プロジェクトの優先順位が下がったからでした。仕方ないので、チームを再編しましたが、どうしてもコミットするのは一人だけになっていきました。」

ーそれではなかなかプロジェクトは進行してなかったんですか?

多胡 「起業プロジェクトの授業の続編を受講しながら、ビジネスプランをブラッシュアップした成果もあり、前回から少し進歩して、投資家5人中2人から好評価をもらうことができました。しかしある投資家に『プランはいいけどプロダクトはあるの?』と言われました。外食はターゲットに魅力的な商品と価格と立地がセットになって初めてひとつです。自分で実際にやってみないと感覚が分かりません。

なので、ラーメンを作り始めることにしました

そうと決まれば、ラーメンの教科書や寸胴、近くのアジア食品店で豚骨などの材料を調達して自作をスタート。ラーメンブロガーやラーメン店のインタビュー記事を読んだり、実際ラーメン屋で働いたりもしていましたね。」

ー実際に作り始めるなんて、、すごい情熱ですね。でもMBAの学生だったのに、よくそんな時間がありましたね?

多胡 「この時期はかなり大変でした。昼間は授業と予習・復習、ミーティング。家に帰ってからは、家族との時間を過ごし、家族が寝てから夜中に作ってました。当たり前なんですけど、豚骨って長時間煮ないといけないんですね。徹夜で煮込んで、学校で仮眠することもありました。豚骨の匂いが家中に充満して、家族からの苦情がすごかったので、家族が二階で寝ている時に、僕は一階で窓をあけて、冷たい風が吹き込む中ラーメンを作っていました。この時期の外気温はマイナス30度だったので、本当に涙がでそうな作業でした(笑)。」

(写真:多胡さんの作った豚骨ラーメン)

ーMBAを取りにきたのか、ラーメンの修行をしているのか、分からないですね。途中で挫折しそうにならなかったんですか?

多胡 「確かに、凍えそうになりながら、『なんで俺はラーメンつくってるんだろう?』と考えていたんですけど、そこで気づいたことがありました。自分が作るラーメンを友人やクラスメイトに振舞い、喜んで食べてくれるのを見るのがすごく楽しかったんです。思い返すと、商社で海外のクライアントが日本に来た時の会食のセッティングも自分はすごく楽しんでいました。つまり、日本の食文化を体験してもらうことによって、その人の生活を豊かにするということに楽しさを見出していました豚骨を煮ることではなくて(笑)。」

ーなるほど。多胡さんの食文化への想いはこのとき顕在化したのですね。ではラーメンを自作することで起業プランもより洗練されたものになったのでしょうか?

多胡 「ある日とても美味しいラーメンができました。実際につくることで、プランにもリアリティが加えられ、3度目のプレゼンでは5人中4人から好評価をもらいました。しかし、否定した一人に言われたのは、『プロダクトを作ってきたまではいいんだけど、どうやってオペレーションするの?』ということです。確かにチェーン展開するなら、マニュアルに基づき、誰が作っても、味やサービスが均質にならなければなりません。

本当に起業するなら、ここまでやって実証しないと意味がないと思ったので、学校の食堂の一角を借りて、週に一回、3ヶ月間限定で、ラーメンを作ってもらうことにしました。初日の売り上げは80杯くらいでしたが、毎週売り上げは増えていき、最終日には320杯にまで達しました。これは単純に365日換算すると1億円を超える売上に相当し、かなり達成感もありました。」

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(写真:食堂の一角でラーメン屋を開いた時の様子)

ー再現性を実証することで、よりプランがブラッシュアップされたわけですね。これならもう起業できそうな勢いです。

多胡 「そこでもう一度投資家まわりをしていましたが、根本的な問題に気づきました。ビザの問題です。MBA終了後、一年間はアメリカに残ることができるのですが、どのみち帰国しなければなりませんでした。この問題に対しては、一緒にラーメンを作っていたアメリカ人を代役にしていました。しかし、一番最初のプレゼンで僕のプランを評価してくれた投資家の方が、『俺はお前だから投資したいと思ったんだ。他の人がやるなら投資はしない。』と、嬉しくもしんどいことを言ってくれました。仕方ないとは思いながらも、ジレンマに陥ってしまいましたね。」

ーそこでどうされたんですか?

多胡 「究極的には、残るという選択肢もあったと思います。しかし、自分と家族へのリターンが小さい、という言い訳をつくって日本へ帰りました。自分に関して言うと、当時社費で留学していたので、起業すれば、留学費を返さなければなりませんでした。返済できるだけの貯金はあったものの、起業するなら、自分でマジョリティをとって、キャッシュフローをコントロールしながら、自己株式の比率を希釈させないことが鉄則です。無一文の状態から起業する場合に、三菱商事という大企業を辞めるだけのリターンがなければ意味がないと思いました。また家族を養わないといけないので、無一文の起業家になるのは、住居や教育のことを考え、踏みとどまりました。」

ーなるほど、帰国されてから会社を辞めようと思ったはどうしてですか?

多胡 「帰国後はチリの資源会社の経営管理をやっていました。しかし、人間は価値観や考え方が変わると元には戻れません。もちろん、MBA留学の経験から、留学前と比較してできることも増えていましたが、”So what?(だから何?)”という感情が湧いていました。やりたいことが変わっていたからです。ここで、僕は10年いた三菱商事を辞め、34歳ニートになりました。」

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MBA留学時代、ラーメン作りを追求した多胡さんが見つけた道は、食を通じて人々の生活を豊かにするというもの。商社マンからラーメンマン、そして自由の身となった多胡さんの物語もいよいよ最終回です。その後多胡さんがどのようなキャリアを歩んでいるのか、将来のビジョン、そして学生へのメッセージを語っていただきました。

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