弁護士を目指してた僕が、世界一周の旅に出るまで【狭間純平-前編】

今回インタビューに応じてくださったのは狭間純平さん。2014年9月から「CAREERPACKER PROJECT」と題し、世界で活躍する活動家を取材しながら45ヶ国83都市を巡る世界一周をした人物だ。最初は体育会に所属しながらも、やりたいことを追求した結果、ヒッチハイク、バックパッカー、そして世界一周までしてしまった。大学生になって何かしたい。だけど何をしたらいいか分からないという人はけっこう多いと思う。そんな方へ、彼がどのように”行動へ”の一歩を踏み出してきたのか、読んでみてほしい。

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弁護士志望、体育会の僕が変わったきっかけ

ー狭間純平は旅人だから屋外の方がいいだろうと思って、今日は西生協裏のベンチでインタビューです。まず簡単に自己紹介となぜ一橋に進学しようと思ったのかを聞かせてください。

狭間 こんにちは、法学部4年の狭間純平です。仙台出身で大学入学を機に上京しました。高校の時数学が得意で、数学ができる文系は強いと思っていたので文系へ進んで。それで、どうせ受験するなら文系で一番偏差値が高い法学部に行って弁護士を目指そうと。今思えば相当安直ですね(笑)。それくらい視野が狭かったんです。

あとはとにかく上京して親元を離れ、自立したいという気持ちが強かったので、東大か一橋を考えてました。最終的に東大じゃなくて一橋にしたのは、法科大学院の司法試験合格率が高かったのと、高校生2年のときに参加したオープンキャンパスで東大にはない一橋のアウトローな感じに惹かれたからです。

ーじゃあ入学してからはずっと法律の勉強をしていたと?

狭間 実はそうではなく、ハンドボール部に入っていた高校時代の先輩に誘われて、入学式の前には入部していました。部活とはいえ休みもあるし、高校の時と同じように文武両道でいこうと思ってました。だけど法学部の勉強で、暗記したり解釈を覚えたりするところが、自分はあまり面白いと思えませんでした。とはいえ1年間は本気で勉強して、弁護士の方にも会ってみたけど、どうもこれは合わないなと。だから、弁護士の道へ進むのはそこで止めました。

ーいきなり「文」が消えて「武」だけになっちゃった(笑)。なら2年からは部活がメインだったのですか?

狭間 それが、2年生の時は、夏休みを境に大きな変化がありました。ハンドボールは高校の時から続けていて、選手としては順調だったけど、本当にこれを4年間続けるのか?というもやもやした気持ちと葛藤していました。これは体育会に所属している人は、少なからず経験することなんじゃないですかね?就活に有利だから、精神力が強くなるからといった、外部評価を押し付けたような理由にも少なからず囚われている自分がすごくダサいなと思いました。

で、部長に「一度休部したいです」と頼み込みました。とはいえ特に何をするとかも決めてなかったので昼夜逆転生活、引きこもりみたいな生活を1週間くらいしてました。そうしたらふつふつと「俺何やってるんだろう。何かしなきゃ」っていう危機感が出てきて、そこでやったのがヒッチハイクでした。

以前、大学1年のときにお盆休みを利用して、友達8人で2人1組になって東京から大阪までヒッチハイクで行ったことがありました。当時の自分にとってこの経験がかなり刺激になっていたので、休部して時間もたっぷりあるなか、今度は沖縄までヒッチハイクで行ってみようと思い立ちました。

そこで感じたのは、ヒッチハイクの経験は大人との接点が作りにくい大学生や、何かにチャレンジしたいと思っている若者にとって、間違いなく有意義な経験になるということです。そう確信してからは、学生団体を立ち上げ、ネット上で学生を募り、週末に東京から大阪とかを往復して帰ってくるという企画を始めました。

この企画は予想以上の反響があって、参加者の満足度もかなり高かったです。実際に初回の企画を終えた後も「次はいつですか?」っていう問い合わせが何件もきたので、このタイミングで休部していた部活を辞め、学生団体の運営に集中することにしました。

ーヒッチハイクでもやもやが消し飛んだんですね。部活を辞めた後はどんなことをしてたのですか?

狭間 だいたい1年間くらいこの学生団体を運営してました。運営メンバーも募り、月に2-3回は継続的に参加者を集めて企画を開催できるようになって、最終的には大学生だけでなく、高校生から社会人まで計300人くらいが参加してくれました。他にも活動の幅を広げて、海外や旅行好きな人を集めて講演会のようなイベントも開催していましたね。

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世界一周への一歩を踏み出すきっかけ

ーでもこの時はまだ海外旅行とかはしてないんですね?

狭間 海外へ一番最初に行ったのは2年の冬休みで、東南アジアのタイ、カンボジア、ベトナムを周りました。だけどこの時はまだ団体の運営が忙しかった傍に、とりあえず海外に行ったという感じでした。

ーでも3年の秋から世界一周にいったのに、まだ世界一周に行きそうな気配がないですね。そこに至るまでにどんな経緯があったのですか?

狭間 3年生の4月、学生団体の運営をしてきたけど、もっと活動を大きくするためにはどうすればいいのだろうと思って、仕事のノウハウを学ぶため、インターンをしようと考えました。その時に入ったのが当時会社になって1ヶ月にも満たない「TABIPPO」という会社でした。TABIPPOは「若者が旅する文化を創る」という理念を掲げて、広告代理店出身のメンバーが創業した会社です。ソーシャルメディアやWEBメディアを使ったマーケティング手法で、若者が海外に行きたくなるようなイベントやメディア運営をメインで行っている会社だったので、勉強になることがたくさんありました。ただインプットするのが精一杯で、会社に対して何もアウトプットできませんでした。

ーなるほど、それから世界一周に行こうと決意したのは何かきっかけがあったのですか?

狭間 最初に友達とヒッチハイクをした時から、在学中に海外を周ってみたいという漠然とした思いがありました。また、TABIPPOというコミュニティは世界一周経験者ばかりいる変わった場所だったから、そうした人たちと一緒に過ごすことで、より一層気持ちは強くなっていきましたね。ちょうど大学3年で学生生活も後半に差し掛かり、そろそろ次のステージにいきたい、社会人に向けて自分の人生の方向性を本格的に探りたいとも思っていました。

そこで海外で活躍する社会人の方にお話を聞いて周ったら面白いなと思って、世界一周をしながら、そうした日本人を取材して、その様子をブログで発信する「CAREERPACKER PROJECT」という企画を始めました。いろんな人の人生観、仕事観を聞くことで、今後の自分を形成していくための糧にする。当時はかなり人生に迷っていたので今やるべきことはこれだ!と思ったんですね。やりたいこと(世界一周)とやるべきこと(さまざまな社会人の仕事観を聞く)が一致したんです。

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彼は普通の一橋法学部生として入学して、真面目に勉強してた学生だったけど、ヒッチハイクをしたことがきっかけで心の靄を取り払い、次々と「やりたいこと」「やってみたいこと」を行動に移してきた。そして彼は、「小さな自信」と「未来への希望」をバックパックに詰め込んで、彼は世界一周へと旅立った。後編は世界一周の経験やそこから感じたことを語ってもらいます。

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