好きなことを思いっきり粘り強くやりなさい

前編では、グローバリズムの本当の意味や、なぜ今リベラルアーツなのか?について鈴木学長に語って頂きました。後編では、ITとグローバル化の関係や、鈴木学長自身のキャリアについて伺います!


鈴木典比古氏
国際教養大学理事長・学長
1972年に一橋大学大学院経済学修士取得後、渡米し、インディアナ大学経営学博士。ワシントン州立大学、イリノイ大学で教鞭を執る。帰国後、国際基督教大学の教授を経て、2000年に同大学副学長、2004年に同大学学長就任。2013年から現職。

 

 

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グローバル化とITの関係性

 

ー現代のビジネスを見るとIT化が重要なキーワードになっているように見えますが、グローバル化とITの関係についてどうお考えですか?

以下は私の造語なのですが、現代はGIIS(Global, Instant, Interactive, Satisfaction)の原則が求められる時代です。Gは「グローバルに」、最初のIは「瞬時に」、次のIは「交流を通じて」、Sは「満足」を表します。ITというのはGIISの原則が成り立つ世界なんですよね。

IT革命以前は完全にはGIISではなくて、例えば50年前の私の大学時代は卒論を例にとっても、400字の原稿を手書きで書いてゼミの指導教授に提出して、指導教授がそれに目を通して1か月後にコメントが返ってきてそれをまた直すという長いプロセスでした。でも、今はどこにいても、メールで原稿を提出すると2日くらいで戻ってきますよね。グローバル人材というのは、GIISの原則やイン&アウトの原則にすごく合っていますし、あるいはITが出てきたからグローバル人材が必要になってきたという側面もあると思います。

ーシリコンバレーとか中国とかと日本を比べてみると、IT領域でのビジネスモデルが遅れていると思うのですが、グローバル人材が育っていないということは考えられますか?

実は、私がインディアナ大学に留学していた1970年代前半、日本は日の出の勢いでアメリカは日本に追いつかれてもうアメリカはダメだ、日本に負けるといわれていたんですよ。ところが、アメリカのコンピューター産業やシリコンバレーで、例えば、マイクロソフトを創業したビル・ゲイツとかポール・アレンは14,5歳の時にもうパソコンの原理的なものを作っていたわけです。

そして1980年代以降、アメリカは立ち直りました。結局、シリコンバレーを作り出す人材の輩出というのは、天才的才能を活かすような地盤がアメリカにはあった。そして、今でもあるんだろうと思いますね。

アジア諸国は、シリコンバレーを作り出すような、内発的な風土・人材には欠けていたと思いますが、台湾や韓国はアメリカに学んでそれをトランスプラントして強い個が活躍出来るような動きが出てきたわけですよね。ところが、日本では技術のトランスファーが個人ではなくて、企業がやっているので、それで日本が遅れたように見えるわけですよ。

でも、それだけみて遅れたというのではなく、日本も国家としての活力というのは、なんとかしなければという動きが出てきていると思いますけどね。逆に、近隣諸国は個という競争力を育てて、国民国家としての動きがまだなのではと思います。ただアジアの近隣諸国も国家建設への努力や共働に目覚めて発展が著しくなっていますよ。

 

ー先生は、人工植林型から雑木林型の教育ということを仰っていましたが、日本の企業も雑木林型になっていくんでしょうか。

実は、明日文科省の中央教育審議会というのがあって、そこで報告しようと思っているんですよ。人工樹林型の同質的人材の大量生産ではなく、一人一人が個を持ってそれを活かせる社会が21世紀には必要です。そういう意味からすると、みんなで渡れば怖くないの時代ではなくなってきますよね。

 

 

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好きなことを粘り強く


ー今の学生に足りない意識は何だと思いますか?

日本の学生は優秀だと思います。ただ、自分で道を拓く力や努力、あるいは風潮に流されない姿勢、みんなが行くなら自分はいかないというところが少ないということですね。アメリカの様に、自分が何かやらないと成功しないしどうしようもないという状況に日本の学生が置かれていないですよね。

大企業に入れば、ブランドとか生活とか昇進とかが、ある一定のところまで保証されているのが実情で、生涯保証とかの側面があるのでこれ自体は悪くないのですが、その保証がないから自分がやらなければというところで出てきたマイクロソフトとかに勝てていない訳ですよね。

だから、今の学生には好きなことをねばり強くやってもらいたい。逆にやればできますよということですね。私もこれまでの人生は一直線できたわけじゃないですからね。

 


一橋大学を卒業して就職しましたけど、大学生活がこれでよかったのかというモヤモヤした未燃焼感が出てきて、結局7ヶ月で辞めて一橋大学に戻ってきたんですね。でも、丁度大学紛争の真っ只中で大学院入試が2年間なくて浪人しました。一橋で修士を修了して博士課程でアメリカに留学したんですけど、ビジネスの博士課程であるDBAという、MBAを取得した前提の博士課程に入学してしまって、必死でビジネスのケース分析とか経営学をやらされたんですよ。博士課程の2年目から向こうで「経営学入門」というのを学部1~2年生向けに教え出しました。

博士課程取得後、もう日本に帰ってこようと思って、その頃筑波大学が社会工学系を始めますというので就職を考えたんですけど、その内にワシントン州立大学への就職の話がきちゃってそこに結局4年間いたのかな。その後イリノイ大学に移ったんですよ。アメリカで10年間教えました。

都合14年間アメリカにいて、日本に帰ってきたわけですよ。ICUにきて学科長を6年、副学長を4年、学長を8年やって、全部27年間在職し、退職する時期になったんですが、国際教養大学の中嶋前学長が亡くなられて、私が学長に就任し、今国際教養大学の学長をしているという訳なんです。

ー最後に、学生へのメッセージをお願いします。

少し長くなりましたが、こういう風に私の人生も一直線じゃないんですよ。ですので、学生の皆さんへのメッセージは、みんな優秀だしやればできるんだから、好きなことをねばり強く思いっきりやりなさいということですね。

 

 

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