ベンチャーキャピタルは “企業版スーパーバンド” を生み出すクリエイティブな仕事【中嶋淳-前編】

みなさんは「プロデューサー」という肩書きからどんな業界を想像するだろうか?音楽、テレビ、映画、演劇、などクリエイティブな産業を想起する人が多いのではないか。では「企業のプロデューサー」があるとしたらそれは何だろうか?その答えはベンチャーキャピタルという仕事である。

今回HITPORTでは、日本のインターネット黎明期(1993年~)からインターネット産業に携わり、現在ベンチャーキャピタリストとして活躍するアーキタイプ株式会社代表取締役の中嶋淳さんにインタビューしてきました。

ファーストキャリアで広告代理店の電通に行き、その後、ベンチャー投資の領域へと飛び込み、2006年に独立した中嶋さん。一貫して様々な人を巻き込み、世の中へインパクトを与える活動を行ってきた中嶋さんから、ベンチャーキャピタルという仕事についてお話いただきました。

/////////////////////////

電通からベンチャーキャピタリストになるまで

ー中嶋さん今日はよろしくお願いします。だいぶ昔の話ではありますが、学生時代はどのように過ごしていましたか?

中嶋 ずっと一橋祭委員として活動していました。3年生のときには委員長となり、4年生のときは卒業式後の如水会パーティーを初めて開催しました。西キャンパスの野球グラウンドに1000人くらい入るテントを設立して、卒業生、在校生、先生や職員の方を集めた壮大な宴会です 。大学時代は一橋祭委員しかやってなかったです(笑)。

ー1000人入るテントですか…スケールが大きいですね。就職活動はどのように行っていましたか?

中嶋 文化祭実行委員の経験から多くの人、様々な人を巻き込んで仕事をするのが楽しくて、向いているなと思いました。なので、仕事でも様々な業界や業種の人とできる仕事がいいなと考え、広告代理店やコンサル、商社とかも見たうえで、一番入るのが難しかった広告代理店の電通にしました。広告代理店にしたのにはもう一つ理由があって、ニューメディアと呼ばれるものに興味がありました。当時なら衛星テレビやケーブルテレビなどがそうです。

ーどうしてニューメディアに興味があったんですか?

中嶋 今では恥ずかしいとしか言いようがありませんが、真面目に“新しいメディアで「世界平和」に貢献したい” と思っていました。世界平和といってもそのやり方には、国際機関に入る、政治家になるなど、色々ありますが、私は特に「理解ビジネス」というべきことをしたいなと。企業と国、企業同士、人と人…男女の間でもそうですけど、理解が足りてないから衝突が起こります。なので相互理解を促進させることで世界平和を目指そうと思いました。

ー世界平和とはまた壮大ですね?

中嶋 まあ「世界平和」というのは、一橋祭からの経験から、多くの人に楽しんでもらい、幸せになってもらうなら、究極的に世界平和だと思ったからだと思います。なので就活の一次面接で「志望動機は?」と聞かれたら、「世界平和です!」と答え、面接官が「世界平和!?」と聞き返してきたら、「えっ、やってないんですか?やってないなら行かないです。」なんてことを平気で言ってました(笑)。

ーなるほど、多くの人の理解を促進することで世界平和に貢献するフィールドとして広告代理店にいったわけですね。では電通ではどのようなことをしていましたか?

中嶋 実は広告はほとんどやっていなくて。最初は長野オリンピック招致のプロジェクトメンバーでした。長野でどうすればオリンピックを開催することができるのか、1時間のプレゼンの中でどういう演出をすればよいのかという戦略を考えていましたね。他にはビジネス番組を制作したり、アメリカでゲームを作ったり、とにかく作る仕事をたくさん手がけました。

そして1993年に出会ったのが、インターネットです。これ以降、社内ではインターネットの仕事を次々と手がけていきました。そして、このインターネットとの出会いは私の人生に大きな影響を与えました。

ー本当に黎明期からインターネットに関わってきたのですね。では電通からVCの仕事へシフトしたのはどういう経緯があったのですか?

中嶋 1994年当時、アメリカで検索エンジンのヤフーがスタンフォード大学の研究から出てきたのを観察しながら、検索エンジンのようなものは絶対メディア的存在になるだろうなと思っていました。それと同時に、新しい企業が興り、大きくなっていく背後にはベンチャーキャピタル(以下VC)という存在が投資したり、支援したりしていることを初めて知りました。

社内でインターネットの仕事に関わりながら、この産業は私が死ぬまでずっと成長産業なのだろうと思っていました。これからインターネットの業界でどんどん新しい企業が出てくるだろうと。自分もそこに携わっていきたかったのですが、投資して育てるという仕事は当時の電通ではできませんでした。それならば、VCの業界に身を置いてみようと思い、電通を辞め、かねてから誘われていたVCに参画しました。そこで5年くらい修行をし、2006年に独立して今の会社を起こしました。

ーきっかけはVCへの興味だったようですが、最初から独立しようと思っていたんですか?

中嶋 いや、最初は全く考えていませんでした。実は2006年というのは日本のインターネット産業にとって深刻な一年でした。少し時代背景を話すと、2000年にITバブルがはじけ、その後もITベンチャーへの投資は冷え込んでいました。そして2006年、IT業界の寵児であった堀江貴文氏が逮捕され、IT起業が胡散臭い、怪しいといった風潮になっていました。

2005年当時、前職のVCはITではない領域をメインに投資していたので、ITで起業したい若者を全面的にサポートすることができませんでした。そうした中2006年1月に堀江貴文氏の事件があって、業界がさらに硬直しそうだったので、自分がITスタートアップの初期から投資をし、一緒に育てていく存在になろうと思い立ち、今の会社アーキタイプを創業するに至りました。

/////////////////////////

オープンイノベーションで世の中を変える

ーVCでは具体的にはどのような活動をしていましたか?

中嶋 私はピュアなVCや、ビジネスを一緒に育てていくインキュベーションだけでなく、最初からオープンイノベーションを意識していました。簡潔に言うと、大企業とスタートアップが連携して世の中を変えていくということです。

たとえば、マイクロソフトのOSも当時コンピュータ業界でトップシェアだったIBMのPCに採用されたことで普及し、そこからマイクロソフトの躍進が始まりました。またグーグルも初期の頃は、今のようなビジネスモデルがなかったので、検索エンジンをヤフー名義で供給し、成長の足がかりを得ました。このように、アメリカでは大企業がスタートアップのテクノロジーを積極的に採用する環境があったことで、スタートアップが成長する機会も創られていました。

しかし、当時の日本ではそういう環境がありませんでした。そこで、日本に大企業とベンチャーが協業する環境を創ることが、日本をより良くする一つの手段だと思いました。最初からベンチャー企業の支援だけでなく、大企業の新規事業やオープンイノベーションの支援をやっていたことで、大企業のネットワークが自然と形成されます。そして、そこにベンチャー企業側の新しいテクノロジーやサービスを紹介して繋げるという仕組みを築いていました。

当時からベンチャー企業の課題は営業力、売上げ、マーケティングなどだったので、そこを徹底的にサポートしようと思っていました。その結果として、5人くらいの企業が大手企業と業務提携をするようなケースもつくることができましたね。

最近は起業の初期フェーズから支援するインキュベーターや企業内VCなども増えてきたので、方向転換して、テクノロジーに強いベンチャー企業がプロダクトを完成させ、これからビジネスやセールスを行っていく段階の投資やビジネスサポートに特化したファンドを組成しました。

/////////////////////////

前編では中嶋さんのVCになるまでと、中嶋さんが運営するVCの特徴をお聞きしました。後編ではVCという仕事や今後のビジョン、学生へのメッセージを語っていただきます。

/////////////////////////

この記事が気に入ったら
いいね!しよう