大学時代に知るべきは、 ”切り口”と”閾値”  【対談:小沼大地×米倉誠一郎ー前編】

今回のインタビューは、HITPORTで大変お世話になっている米倉誠一郎先生と、NPO法人クロスフィールズの共同創業者であり代表理事を務める小沼大地さんの対談です。二人とも一橋の社会学部出身であり、学生時代はビジネスにはむしろ良い印象を持ってなかったと言います。しかしそんな二人は現在、ビジネスを通じて社会課題を解決することに情熱を捧げて活動する、日本を代表するソーシャルイノベーターです。

前編では、ひたすらラクロスに打ち込んでいた小沼さんの経験から、学生時代に経験すべきことを語ります。

 

 

大学時代の価値は頑張ったことの”閾値”で決まる

米倉 小沼くん、今日はよろしくお願いします。僕は若い諸君にはぜひ小沼くんのように海外の活動に参加してほしいなと思う。一橋に入学できる程の情報処理能力があれば、大学でただ勉強するだけというのはもったいないと思うんだよね。それに僕は大学のときの専門領域は関係ないと思っている。だって小沼くんなんて、ラクロスしかやってなかったわけだろう?(笑)

小沼 はい、ラクロスしかやってなかったですね。でもラクロス部は早朝に練習する部活だったので、授業にもそれなりに出ていましたよ。社会学的な考え方はもともと好きだったので、心理学や人類学などを中心に幅広く興味のあることを勉強していましたね。

米倉 意外と真面目だったんだね。一橋のOBであり、キャリアで累計5000億円のファンドを運用してきた藤原敬之さんという方が、著書『日本人はなぜ株で損するのか~5000億円ファンド・マネージャーの京大講義~』の中で、「互いの『切り口』の交換が本当の情報交換である。」と語っている。

この切り口の交換、つまり様々なものの見方を学ぶことこそ大学時代に経験すべきことで、単なる経営分析やマーケティングなどのノウハウではないと思う。

もちろん、経済学や商学でも様々な切り口を学ぶことはできる。株価の変動や国際競争力のあり方にしても、マクロ・ミクロの経済要因や社会情勢などの様々な要素が絡み合っていることを理解する分析方法、すなわち切り口を勉強するのは、単なるテクニックではないからね。

小沼 僕はものごとを違った角度から見ることを学生時代にしていたかもしれません。僕の在学時は、マルクス経済学的なものの見方をする先生たちも多くいて、むしろそれが当たり前だと思っていました(笑)。

特に印象に残っているのは、『醒める夢冷めない夢』という哲学書の著者である古茂田先生の授業。先生はジョン=レノンの*Imagine(イマジン)が表現するような世界が好きで、僕もイマジンに歌われているような理想の世界観を追い求めることが社会学だと理解したところがあります。

米倉 それはいい先生だねえ、僕もイマジン派だ。マルクス経済学もイマジンもものの見方の一種だよね。小沼くんは学生時代に何をすべきだと思う?

小沼 一つのことをとことん突き詰め、やりきる経験をすべきだと思います。僕が部活をやって良かったなと思うのはまさにこの点です。大学三年生のときには21歳以下日本代表に選ばれるほど打ち込んで、四年の時にはキャプテンもやっていました。キャプテンをしていた時には、OBの勧めで日産のCEOカルロス=ゴーンさんの経営組織論を勉強してチーム運営に応用しようとしたりしましたが、それも全てラクロスで勝つためでしたね。

僕の場合はたまたまラクロスでしたが、大学時代の価値は誰にも言われずに頑張ったことの閾値(いきち)で決まると思っています。打ち込むことは何でもいいですが、それをどのレベルで頑張ったかが大切です。

その時の経験が、後々の人生で立ち戻る「あの時」の基準になるんです。「自分はあの時ほどに頑張れているだろうか」と自分に問いかけるときの「あの時」のレベルが高ければ高いほど、その人は強いエネルギーを持って人生を生きられるようになるはずです。

米倉 いいね!小沼くんの言う原体験は、僕の場合ならハーバードのPh.D.(博士課程)時代だったな。確かに、勉強になったこともあるんだけど、勉強の中身はほとんど覚えていない。ただ、あれだけ苦しくて大変なことができたのだから、もうできないことはないという自己肯定感をもてたこと、その大変な時期を共に過ごし、成し遂げた仲間ができたことは何にも替えがたいことだね。
小沼くんは大学の学部時代にはすでに今のような道を想像していたの?

小沼 実は、僕はずっと教師という仕事に憧れていました。高校二年生のとき『陽のあたる教室』という映画を観て感動したことがきっかけです。その映画の主人公の音楽教師のように、「誰かの人生に影響を与えること」こそが自分の人生の目的だと思ったんです。

そこで、身の回りを見渡して、誰かの人生に最も影響を与えている人を考えたときにパッと浮かんだのが、中高時代の部活の顧問だったんです。以来、教師になって部活の顧問になることを目指すようになって、大学時代には教育実習もして社会科の教員免許を取得しました。

ただ、大学を卒業して社会を見ずにそのまま社会科の教師になるのもワクワクしなかったので、なにか面白いことを経験しようと思いました。そこで考えたのが、留学、大学院進学、青年海外協力隊への参加という三つの選択肢です。僕はそれぞれの経験者に話を聞きにいって、どれを選べば一番面白い人になれるかなと思って最終的に選んだのが、青年海外協力隊でした。

ただ、それでも潰しが効くように、青年海外協力隊に参加している二年間の期間も含めて三年間で修士号を取ることができるように教授を説得し、大学院にも籍を置いていました。

米倉 小沼くんは意外と戦略的だね。大企業がローリスク、ミディアムリターン、入れば大学名だけで優遇されたりするけど、ベンチャーだとハイリスク、ハイリターン、大学名なんて関係なく「何ができるのか?」が問われる。それなら大学院へ行って専門性深めておこうとリスクヘッジしたところはしっかりしてるな。

小沼 国連機関などに就職しようと思うと、実は修士号は必須でした。青年海外協力隊への参加という突拍子もない挑戦をしながらも、僕は常に既存のフレームワークでも戦えるようにと考えながらキャリアを設計していたように思います。結果論ですが、協力隊ではシリアに行ったので、国連公用語であるアラビア語も話せるようになりましたし。

米倉 それじゃあ次は青年海外協力隊でシリアへ行った経験について聞いていこうか。

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学生時代にがむしゃらにラクロスに打ち込み、教師になる夢を持ち続けていた小沼さん。しかし、一度社会に出る前に、青年海外協力隊に身を置くことを選択することにしました。中編では、小沼さんの人生に大きな影響を与えたシリアでの活動から、なぜコンサルタントを目指し、NPOを立ち上げるに至ったかを語っていただきます。

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