野村証券にAKBプロジェクト… 全ては「日本酒」につながっている!? <前編>

今回の取材の舞台は、最近代官山にできたばかりの日本酒のセレクトショップ!(取材時はオープン前です)
「一橋→バンカー→AKBビジネス→日本酒ベンチャー経営」という異色の経歴を持つ一橋OB、ミライシュハン代表取締役 山本祐也さんにお話をお伺いしました。

 

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商学に興味があったのに、「骨太な」社会学を勉強していた

 

>今日はよろしくお願いします。まずは大学時代についてお伺いしたいのですが、山本さんはなぜ一橋に入学されたのですか。

山本 地元の高校が、「学力の高い人はこんな大学に行きなさい」ではなく「自分に合う学校に行きなさい」という進路指導をするような自由な校風の高校でした。また、田舎から見てそれぞれの大学にイメージがある中で、一橋だけが「無」だったんです。

悪く言えば存在感がない、逆に言えば自分が活躍すれば学校のステレオタイプで見られることはないだろうと考え、面白そうな学校だと思い一橋に決めました。

 

>大学時代はどのようなことをしていましたか。

山本 好きなことは徹夜で3冊ぐらい読んで勉強できちゃうので、商学分野の勉強は独学でしていました。この分野は書籍とかも優れたものが多いですし、ある程度興味を持ったものを自分で追及していました。

一方、ゼミでは自学じゃ太刀打ちできないような、骨太な勉強をしようと思っていました。そこで、渡辺雅男先生のゼミではマルクスの資本論を勉強しました。映像プレゼンのない時代に、本一冊で何千万人の人の動きを変えたのってすごくないですか。その歴史的背景とかって1人じゃ勉強できないと思うんですよね。

思想の勉強というよりは、「論理の勉強」として取り組みたかったんです。副ゼミとしてフランス政治思想史の森村 敏己 (もりむら・としみ)先生のゼミで社会契約論なども勉強していましたね。プラスで好きなビジネス系の勉強もしていました。

 


>商学ではなく骨太な勉強を主にしていたんですね。勉強以外に大学生活で取り組んだことはありますか。

山本 栃木に出張する家庭教師をやっていました。地方でも東大や一橋などの先生を呼びたいという需要があって、それなりの金額を提示頂いてやっていました。

自分も教えつつ、他の複数の先生を指揮していた感じですね。それだけの金額をもらっているのでやはり責任は重くて、泊まり込みでやったり、長期休暇がとれなかったりはしていました。時間的に大学生活の多くを占めていましたね。

 

 

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酒造を支えたい、だから野村証券に

 

>まさに市場価格ですね(笑) 卒業後の最初の就職先についてはどう考えていましたか。

山本 地元の友達のお父さんが430年ぐらい続く酒造の社長をやっていて、彼が跡を継ぐことが決まっていました。彼の間近で酒造の現場を見ていると、酒造のような伝統産業の課題は非常に大きいことがわかって。そこで、大学に入学したときから酒造を支えたいと思うようになったんです。

しかし自分は酒造の跡継ぎでもないので、造り以外の部分をやる必要がありました。大学3年生のときに酒蔵が現場で困っていることをヒアリングをしたところ、資金調達と、販路開拓の2点で困っていることがわかりました。販路開拓っていうのは、地元では売ってるけど、東京とかでは売ってないってことですね。

そこで、ファイナンスかセールスのどちらかを修行して、その部分を手伝いたいなと思うようになったんです。

 


>ヒアリングから明確に自分のやるべきことを見出したんですね。そこからどのように就職先を決めたんですか。

山本 就活って配属される部署がどこか分からないっていう人事リスクをとりながらやるゲームだと思っていて、たとえ配属が思うようにいかなくても、酒に役立つどちらかのスキルを得られる仕事が良いと考えました。ファイナンスとセールスそれぞれで考えて、ファイナンス面を学ぶには企業の資金調達をする金融機関、つまりコース別採用をしていた証券会社・投資銀行が良い。

一方、セールス面を学びにはマーケティング職の枠で募集していたB to Cの商材を扱う会社を探しました。P&Gとかロレアルとかですね。この2つの枠で企業を探して受けました。最終的にはいくつか内定をもらった後、野村證券のIBコースを選びましたね。セールスって物によって売り方は違う一方で、ファイナンスにはフレームワークはあるなとも考えていました。

 

>かなりはっきりした目標を持って、就活に取り組まれたんですね。

山本 思い込みの可能性もありますけどね(笑) 時間が経つのは早いなと感じていて、気が付いたら二十歳超えてるみたいな。時間に流されて、気が付いたら時間たっているというのは怖いなと思って、合っているかは別として自分なりに仮説を立てて取り組みました。

 

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日系・外資の両方を経験した金融機関時代

 

>野村證券ではどんな仕事をされていましたか。

山本 最初は企業の資金調達分野の中で、エクセキューションという、最後に契約内容を文書に落としこむ機能を担う部門に所属していました。他の部門がつないできた案件を最後に形づくるところで、企業と直接関わって進めていく、というのはあまりなかったので、もっと実際に企業と関わって案件組成をしたいなと思い、異動願いを出しました。

それからは企業を担当するバンカーの部門に異動して、クライアントのところにいって投資業務全般をさせていただきました。金融法人担当の投資銀行チームで仕事をさせて頂きました。

>金融機関としては、その後JPモルガンでもお仕事をされていますよね。

山本 野村證券で働いていた時期の終盤からすでに独立に向けて動いていたんですが、ご縁あって誘われたので、JPモルガンでも働かせていただきました。仕事内容はJPモルガンもだいたい一緒ですね。野村證券は日本で一番大きな証券会社で、それぞれの分野のプロがいるので、アウトプットのレベルは高いんです。車で例えると、エンジンのプロ、ボンネットのプロがいて、みんなで良い車を作るみたいな。

でも1人だけじゃ車全体は作れないんですよね。JPモルガンは人が少ないから、1人でいろいろやるし、1人がいろんなことができます。そのため、勿論車としての完成度は野村證券と同じとは行きませんが、1人あたりが携わることのできる範囲が広いのです。一長一短ありますね。

 

 

 

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AKBプロジェクト事業部門での経験

 

>日系・外資以外にもそんな違いがあるんですね。JPモルガンで働いた後はどんなお仕事をされていたんですか?

山本 独立をしました。個人のコンサルティングとして、ファッションを始めとした仕事をいくつかしていました。事業経験はないけどお金はある会社、例えば投資ファンドなどがM&Aで事業を買ったときに、実際事業をどう回していくのかについての仮設を立てて、実行まで経営陣の下で行っていく仕事です。さながら経営側と現場の間に立った翻訳みたいな仕事でした。そんな中でAKBプロジェクトに出会いました。


>AKB!とても興味深いです(笑)具体的にどのようなことをされていたんですか?

山本 AKBのビジネスサイドで新規事業プロデューサーをしていました。コンテンツを持っている会社にご一緒させていただいて、コンテンツをどのように収益化していくかのプロジェクトに3年半くらい携わっていました。派手な仕事もあればコツコツ系の仕事もあった中で、分かりやすいのはオサレカンパニーっていう衣装やヘアメイクの会社の分社化立ち上げですかね。

AKBの衣装って型から作るんですよ。そのため、1年に数千型ぐらい作るんですが、日本のアパレルの中でもしかしたら一番型を作ってのではないかと思ったんですね。だからノウハウがたまっているはずだっていうのがありました。AKBは普通の女の子がコンセプトで、その成長過程を一緒につくっていくのを楽しんでもらうコンテンツなんですが、その押し上げていく中で衣装やメイクは大切な要素なんですよね。AKBの衣装ってイメージがあって、衣装だけでAKBってわかるじゃないですか。

アーティストの衣装って言って共通で思い出すものがあるってなかなか他にないんです。衣装やヘアメイクがAKBのコンテンツを作っていると言えるところがあったので、分社化をしました。他にはNGT48っていう新潟プロジェクトの立ち上げを担当させていただきましたね。

 

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野村證券からJPモルガン、独立してからはAKBのビジネスサイドマネージャーと多彩な経歴をもつ山本さん。

後編では、バンカー・AKBの仕事と、日本酒ベンチャーがどのように繋がっていったのか、経営者としての山本さんの思いに迫ります!

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