新卒入社後2ヶ月で退社。本が、一人の男の人生を変えた。 【ブック・コーディネーター、本屋B&B経営 内沼晋太郎 前編】

 

<内沼晋太郎さん>

2003年商学部卒。新卒で某国際見本市主催会社に入社し、2ヶ月で退社。その後、東京・千駄木「往来堂書店」のスタッフとして勤務するかたわら、本と人との出会いを提供する仕事を始める。ブック・コーディネーターとして、異業種の書籍売り場やライブラリーのプロデュースをはじめ、本にまつわるあらゆるプロジェクトの企画やディレクションを行う。2012年、東京・下北沢にビールが飲めて毎日イベントを開催する本屋「B&B」を博報堂ケトルと協業で開業。


ミュージシャン志望から、雑誌・編集の道へ

―今日はよろしくお願いします。まずは、大学時代について伺いたいのですが、内沼さんはなぜ一橋大学商学部に入学されたのでしょうか。

内沼 高校生の時から音楽をやっていて、大学選びをするときも、ミュージシャンになりたいという気持ちがちょっとありました。なので、美大とか音大とかに行くことも考えたんですけど、いろいろと考えた結果、食えないミュージシャンになるのは嫌だ、ビジネスのこともちゃんとわからないといけないと思って、一橋の商学部に入ったんです。

―いろいろ考えて一橋を選ばれたんですね。実際に大学に入学されて、大学での勉強はどうでしたか?

内沼 結局、自分の活動のほうが面白くなってしまって、大学の授業はあまり真剣に受けていませんでした。卒業の単位は本当にぎりぎりでしたね。

最初は本気でミュージシャンを目指していましたが、徐々に音楽で食っていくのは難しいなと思い始めて、自分の関心も音楽以外に広がっていきました。早稲田で友達がつくったアートサークルに入ったり、友達と二人で広告ユニットを作って他のサークルのチラシとかの編集・デザインをやったりしていました。雑誌のサークルにも入って、その後自分のサークルをつくって、そこで雑誌を作ろうと動いてもいましたね。その傍ら、軽音楽部でバンドを4年間続けました。

ーなるほど。その時から雑誌とか編集に興味を持たれていたのですね。

そうですね。大学3年時には、慶應のSFCの、文芸評論家の福田和也先生が開講されていた小説と雑誌のゼミに潜ったりしていました。当時、福田ゼミでは『モンスーン』という雑誌を作っている先輩がいて、一般書店でも流通していました。なので、僕も友達と一緒に福田ゼミに潜らせてもらって、『モンスーン』の次の雑誌を企画して、福田先生にプレゼンしたりしていましたね。

それと同時期に、後藤繁雄さんという編集者が開いていた「スーパースクール」という編集の学校にも通っていました。大学のゼミは、当時商学部のゼミの中では一番ハードだと言われていた、阿久津聡先生のブランド論のゼミに入っていました。

―凄く忙しそうな大学生活ですね。

内沼 でも、授業にはほとんど出てないから(笑)。米倉誠一郎先生とか楠木建先生、沼上幹先生の授業とか、面白かったものに少し出ていただけですね。

―(笑)。内沼さん自身で何か作成されたりしていましたか。

内沼 雑誌は作成途中にデータが消えて完成させることができなかったのですが、六本木の「Bullet’s」というクラブでイベントを企画運営したり、当時青山にあった「IDEE」の本店前のワゴンで古本や自作のzineを売ったり、当時後藤繁雄さんや坂本龍一さんらがやっていた「code」というユニットの展覧会に誘っていただき、自分たちの作品をつくって展示したりしていました。

ちょうど大学3年生の終わり頃だったので、就活はそこそこ適当にやりつつ、作品を作り、ハードなゼミと編集学校とSFCのゼミに行き、あとはデザインイベントのボランティアスタッフをやったりしながら、それらの活動をしている(笑)。

忙しい大学生ですよね。けれどその間に、同世代の面白いことをやっている学生と知り合ったり、上の年齢の人と知り合ったりしたことが、今の自分のベースになっています。今までずっと、この時からの延長でやっているような気持ちです。

単なる「客」ではなくなった、ある1冊の本との出会い

―お話を伺っていると、本を作ることや、イベントを開催されるという点は今のお仕事につながっているように感じますが、本の流通やセレクトに関わるようになったきっかけは何だったんですか。

内沼 いくつかきっかけがありまして。そもそも本を好きになったのは、中学時代に、本好きの友達に本の面白さを教えてもらったことや、受験生の時に、参考書や問題集を買うことと、それを人に勧めることにはまったことがきっかけです。

流通に関心を持ち始めたのは大学に入ってからです。そのころちょうど、佐野眞一氏が書いた『だれが「本」を殺すのか』という出版業界についての本が、ベストセラーになりました。その本を読むまでは、小説や人文・社会科学や海外文学、雑誌などを好き好んで読む単なる「本屋の客」で、その本屋が儲かっているとか、どう流通しているとかには関心がなかったんです。けれどそこから少しずつ見え方が変わりました。いわゆる出版業界本を何冊か読んで、必ずしも佐野さんが描いたことがすべてではなく、いろんな立場の人が様々な考えを持っていることを知りました。ただ、それらすべてがネガティブな話ばかりで、業界が停滞、衰退しているということは確かでした。

―まさに、一冊の本がきっかけで出版業界への関心が深まったのですね。具体的に、 出版業界のどういったところに興味をもったのですか。

内沼 僕はそれらの本を読んで、いわゆる「若者の読書離れ」は若者のせいではない、と思ったんです。本の「売り方」「手渡し方」に問題があると思ったんですね。僕が学生の時、モバイル端末やインターネット、ゲーム機の進化が著しくて、面白いものがどんどん増えていた一方で、本は10年も20年も概ね同じような売り方しかしていない。そこに可能性を感じて、本と人との出会い方にぼんやりと関心を持つようになりました。場所をつくるとか、人との出会いを作るとか、企画を作るとか、そういう仕事につきたいなと思ったんです。

―そういった思いが就職活動にもつながったのでしょうか。

内沼 そうですね。でも、出版業界には入らない方がいいと思ったんです。仮に出版社に入社したとしても、そこから本の流通を変える、本と人との出会い方を変える、といった大きなテーマに手が届くまでには、すごく時間がかかりそうだと思って。まずは少し遠くから関わって全体像を勉強しようと思い、本の展示会を主催する会社を第一志望にしました。その会社では、基本的に出版業界の上流にいる方に営業することになるので、そういう方と1年目から話せるのは魅力的だなと。

「3年はいたほうがいい。」それって本当?

―それでも、第一志望で入られた会社を2か月半でやめられたそうですね。なぜですか?

内沼 そもそも僕は「やりたいこと」に心が奪われていたから、会社の雰囲気をあまり重視していなかったんですね。なんとなく説明会の時点から合わないと感じていたのですが、入ってみたらやっぱり社風に自分が合わないわけですよ。

そこで気づいたのは、いかに今まで自分が似たタイプの学生としか付き合ってこなかったかということでした。だけど社会に出るといろいろな人がいて、「この人が上司です」と決められた人と一緒に仕事をしなければいけない。同期入社の社員とはとても仲良くなれたので何の心配もしていなかったのですが、いざ入ってみたら、人を選べないということがこんなに苦しいのかと思いました。

―そうだったんですね。でも、辞めるとなると勇気や決心が要りそうです。

内沼 よく「3年はいろ」と言われますよね。でもそれも社会が作り出した、学生に対するある種の陰謀のようなものではないか、と気づいたんです。求人広告を打って、説明会の会場を借りて、社員を総動員して、採用するのがせいぜい数人だとすると、ひとりの社員を採用するのにかけるコストはかなりの額です。「3年いなければものにならない」「社会を知るために3年いろ」っているのは、3年は働いてもらって、何人かはそのまま会社に染まって居続けてもらわないと、採用でかかった経費が回収できない、という事情が生み出した言い方なのではないかと。実際はケースバイケースだとは思いますが、とにかくそう直感した時に、3年いるべきかどうかは自分で決めるべきだと思いました。正直そのときは、3年上の先輩みたいになりたいとは思えなかったし、3年いたらその会社に染まらざるを得ない。やめるなら絶対早い方がいいと思いました。

その時23歳だったので、第2新卒として就職活動ができる25歳までの2年間、本に関わることを思うようにやってみて、だめだったらもう一度就活すればいいやと思って、会社を辞めました。

―会社をやめた後は、どのようなことをされていたのですか?

…続きは後編で!

この記事が気に入ったら
いいね!しよう